耶馬三城址と馬溪橋(大分県中津市)
耶馬溪の地にかつて栄えた平田城、一ツ戸城、長岩城と平田城址付近にある石積みの眼鏡橋「馬溪橋」を紹介します。
【平田城址】
平田城は別名「白米城」とも言われ、建久年間に長岩城主野仲重房が築城したと伝えられています。天正年間には平田掃部介が城番として居城していました。天正十五年(1587年)、黒田官兵衛が豊前国六郡を拝領し入国すると、野仲鎮兼はこれに反抗し家臣とともに長岩城に籠りました。黒田勢は長岩城を攻め落し、官兵衛は戦功のあった栗山備後守利安に野仲氏の旧領六千石を与えました。栗山備後は平田城主となり、城を改修、現在もこの時築かれた石垣の一部が残っています。「黒田騒動」で名高い栗山大膳(栗山備後の子)はこの城で少年期を過ごしています。