やつしろの土と人が創り出す芸術 高田焼(熊本県八代市・八代郡)
元祖は「文禄の役(1592年)」の後に加藤清正公に従って渡来した陶工尊楷(日本名・上野喜蔵)が1602年、豊前国上野に窯を開いたことに始まります。その後、高田焼は細川家の御用窯となり、細川忠興公が八代城主として1632年に入国したときに従って、この地に移ってきました。忠興公といえば、利休七哲人の文化人として有名で、八代にも多くの文化遺産を残しています。それだけに高田焼も日用雑器とは違い、青磁象嵌の技法を中心とした芸術性の高い気品ある趣が特徴です。