八代城跡群(3)八代城(熊本県八代市)

現存する八代城の跡は、松江城とも呼ばれる城跡です。
元和元年(1615年)、徳川幕府は「一国一城令」を出しましたが、肥後加藤領では、熊本城と麦島城の一国二城体制が認められていたため、麦島城が地震で倒壊した際にも認められ、元和8年(1622年)に完成しました。
その後、加藤家は改易となり、代わって細川忠利が新たな藩主となりました。八代城には忠利の父、細川忠興(三斎)が城主となりました。忠興の死後は細川家の筆頭家老松井氏が代々城主を務めました。
寛文12年(1672年)、大天守に落雷があり、大天守、小天守、埋御門などが焼失しましたが、大天守は再建されませんでした。
明治3年(1870年)に廃城となり、建物は撤去され、現在は石垣が残るだけとなりました。