旧飴屋門(きゅう あめや もん)〔市指定有形文化財〕(福岡県行橋市)

旧飴屋門は天保年間(1830〜44年)頃に建てられました。小倉藩主の領内巡検の際、これを迎え入れるために建てられたため、「御成門(おなりもん)」と呼ばれました。
藩主を迎えるのにふさわしい、薬院門(やくいもん)という格式の高い型式で作られています。
潜り戸が付いた本瓦葺きの重厚な造りが、藩を支えた豪商の風格を今に伝えています。

行事飴屋は江戸時代、宝永年間(1704〜1711)頃から栄えた小倉藩屈指の豪商です。
農業の片手間の飴商から始まり、綿実(油の原料)商、酒造業など事業を拡大していきました。
たびたび小倉藩に献金して藩の財政を支え、明治時代初めの全国の長者番付「大日本持丸長者鑑」にも名を連ねています。

幕末頃に描かれた「大橋村行事村宮市村見取図」によれば、飴屋の屋敷(玉江彦右衛門宅)は中津往来(城下町小倉と中津をつなぐ主要道)と、長峡川沿いに田川方面に向かう道の交差点に面しています。
長峡川に架かる当時唯一の橋(万年橋)のすぐそばです。
長峡川の対岸には、今川につながる運河である舟路川も接続していました。
陸路や長峡川、今川などの河川を使って京都郡、仲津郡の物資を集め、大坂など上方とも商売をしていました。 敷地内には三層四階建ての「快哉楼」という建物もありました。市内出身の漢詩人、村上仏山をはじめ、田能村竹田、頼山陽といった著名人が多数訪れています。