紙屋関所 〜小林市〜(宮崎県小林市)
この境目番所(陸路番所)は、薩摩藩の九つの番所の一つであり「御番所」とも言われ、地元の人々は「ばんどこ」とも呼んだ。
関所と言えば、幕府の直轄したものを指すと思われるが、薩摩藩では番所も関所と呼んでいた様である。
近くには、宮崎市の去川番所、えびの市の球磨口番所もある。
関ヶ原の戦いで豊臣方に加わり敗退した島津義弘は、日向の国に上陸後、伊藤勢(徳川方)に苦しめられたことから、去川番所の他に四郷(高岡・穆佐・倉岡・綾)を置き(所謂、関外四郷)、併せて、この紙屋番所を設けて、この地方の防備を固めたと言われている。
番所には、上番一名、定番二名、加番三名が居て、非常を戒め、他藩旅客の藩内通行の者を改めた。
厳重な取締の例として、紙屋番所への犬一匹の通行許可願とか去川番所から紙屋番所への犯人取り押さえの依頼文書等が遺されている。
また、補足写真の井戸は、当時のものがそのまま残っており、年季を感じることができる。
跡地は、地元の方々が後世に遺すために明治百年記念事業として顕彰碑を建立し、今もその管理にあたられている。
現在は、国道から高台に入ったところにありますが、この関所が設けられた時には、街道沿いだったのではないかと思いを巡らせるのも楽しいもんですよ(^^)