【宮崎県伝統工芸品】 紅渓石硯〔こうけいせきすずり〕 (宮崎県延岡市)

・「紅渓石硯(こうけいせきすずり)」とは
天保8〜9年頃、信濃国の徳蔵という者が、渓間に露出している岩を見て、硯石に適材となることを認めたという説と、天保10年(1839年)、旧延 岡藩士であった河原新蔵が初めてこの石で硯を作ったとする説がありますが、いずれもその石の産地は現在の宮崎県東臼杵郡北川町のゲンサキ山のベンガジガ谷 に産するものであったとされています。
その後、延岡藩は硯の材料として大阪方面に船荷で輸送するようになりました。
河原らは廃藩後もこの石を使った硯の製作にあたり、延岡特産の基礎を築きました。
西南の役直後、延岡警察署長に就任した鹿児島県人・佐藤暢一(後の栃木県知事)が『唐硯・端渓石(たんけいせき)に比べても遜色ない』と絶賛したのがきっかけとなり、全国的にその名声が広がっていきました。
明治32年、地元(新小路)出身で、宮内庁御用師・内海羊石の門下であった原口梅羊(本名実五郎=初代羊堂)が帰郷、紅渓石を硯材とし数々の傑作を製作し、天皇その他各宮に献納硯を作りました。
梅羊没(昭和19年)後、その技術は崎川羊堂に引き継がれ、現在は梅堂から三代目となる相馬羊堂(そうまようどう)がその技法を受け継いでいます。