「宮野浦八十八ヶ所巡り」 (宮崎県延岡市)


江戸時代後期、宮野浦地区で疫病や火災が頻繁に起こったことから、当時の交易で富を得た宮野浦の中野忠之丞の発願で四国霊場八十八ヶ所を勧請されました。文政 2(1819)年に四国八十八ヶ所の、土と延岡で刻んだ石仏を船で搬入したのが由来と伝えられています。内藤家文書によると、大師像の設置については、中野忠五郎という人物で、設置した年は文政9(1826)年といわれています。

宮野浦の海と山も楽しめます。