・ 道の駅の駅長さんの話によると、この鎮西町名護屋の地元の方々は、真田幸村のことを「さえもん」さんと呼び、同地区にある真田幸村の墓を先祖代々祀ってきたという伝説があるということです。この墓(石碑)を訪ね参拝してきました。
・ 幸村は、父昌幸とともに朝鮮出兵のため、この名護屋の地に布陣されたといわれています。幸村の墓は、父昌幸が布陣した地の近くに建立されていました。
(豊臣秀吉は朝鮮出兵のための拠点として名護屋城を築城し、全国の名立たる大名が周辺に布陣しています。)
・ 幸村は、大阪夏の陣で豊臣方につきましたが、奮戦むなしく徳川家康に敗れ戦死したと歴史は伝えています。
・ 徳川幕府政権の時代に入り、地元の方々は、徳川の敵方で先鋒的役割を果たした幸村を、当地で祀っていることを幕府に知られてはお咎めがあると恐れ、ひっそりと祀ってきたようです。
・ 名護屋城を拠点とした七年に及ぶ大陸諸国との戦は、歴史上不幸な爪跡を残していますが、この地には、全国から20万人を超える人々が集まり、130以上の陣跡があり活況に沸いた地でもあります。
・ 幸村ファンのみならず、400年という歳月に想いをはせながら訪れてみてはいかがでしょうか。