「弊振坂」と「お瀧さん」(長崎県長崎市)

長崎には「寺町通り」というお寺が並んでいる通りがありますが、その中で大音寺と皓台寺の間から風頭山頂へと続く坂道を「弊振坂(へいふりざか)」といいます。
寛永15年(1638)、当時諏訪神社は現在の寺町周辺にあり、その諏訪神社の大鳥居(現在の二の鳥居)を造るために石材を風頭山から切り出し運んでいた時、あまりにも石が大きくて動かせない。人々が思いあぐねていると、一人の宰領が突然石の上に乗り「御幣」を振って励まし、何とか石材を麓へ下ろす事ができました。
この坂の名前の由来はそういうことです。因みに長照寺と延命寺の間の坂も同じです。
なお、この坂を上っていくと「お滝さんとその娘お稲」の墓所まで行けます。
頂上付近からの長崎の眺めは、往時を偲ばせる雰囲気が残っていて中々風情があります。