歴史・文化・食

  • 天長寺の石仏群 〜都城市〜(宮崎...

    薩摩藩の廃仏毀釈により仏教に関するものがほとんど失われたと言われるなか、完全な姿で残った貴重な石仏群である。 天長寺は、真言宗で松林山成就院と号し、江戸時代は、大乗院(鹿児島市稲荷町)の末寺であった。...
  • 正応寺跡の石塔群 〜都城市〜(宮...

    正応寺(しょうおうじ)は、島津荘の本家でもある摂関家(近衛氏)縁の寺として、平安時代の仁安元年(1166年)三井寺(滋賀県)の座主の命を受けた禅慶上人と当地の中郷弁済使永井氏によって、天台宗として建立...
  • 都城郷招魂塚 〜都城市〜(宮崎県...

    この都城郷招魂塚は、明治十年の「西南戦争」で西郷軍に従軍し、戦病死した都城郷(旧都城市内)一番隊々長「東胤正(ひがしたねまさ)」以下、百三十四柱の御霊を祀る慰霊碑です。 明治十年二月二十五日前後に出発...
  • 紙屋関所 〜小林市〜(宮崎県小林...

    この境目番所(陸路番所)は、薩摩藩の九つの番所の一つであり「御番所」とも言われ、地元の人々は「ばんどこ」とも呼んだ。 関所と言えば、幕府の直轄したものを指すと思われるが、薩摩藩では番所も関所と呼んでい...
  • 伊東塚 〜小林市〜(宮崎県小林市...

    都於郡城(とのこおり、西都市)を本拠地とし、日向国(宮崎県)の大半を治めていた伊東義祐は、元亀3(1572)年5月3日の夜、約3千名の兵力で前線基地の三ノ山(小林市三ケ野山)から、島津氏家臣川上忠智の...
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