歴史・文化・食

  • 旧岩瀬橋・鍋谷橋 〜小林市・都城...

    〜旧岩瀬橋〜 明治25年に宮崎・人吉間の道路整備事業で建設されたが始まりで、建設当時は、切石積みの橋脚と木製の橋桁でした。 その後、大正14年に上部構造の建替えが行われ、当時としては最新技術を用いた鉄...
  • 宝塔的五輪塔 〜都城市〜(宮崎県...

    両塔とも高さ3メートルを超える。このような巨大なものは、都城盆地内では、正応寺跡地(安久町)の五輪塔と、この二基しか確認されていない。 この石塔については、慶長十九年(1614年)、高城(都城市高城町...
  • 島津寒天工場跡 〜都城市〜(宮崎...

    幕末(文化文政)の頃、島津藩の財政は非常に困窮していました。 そのために、時の家老「調所笑左衛門広郷(ずしょ しょうざえもんひろさと)」は、指宿(鹿児島県指宿市)の豪商「浜崎太平次(はまさきたへいじ)...
  • 一里塚 〜都城市・小林市〜(宮崎...

    一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代ですが、一里(約4km)ごとに、江戸の日本橋を起点として全国の各街道に設置され、当初は、5間(約9m)四方、高さ1丈(約1.7m)に土を盛り上げてつく...
  • 御年神社(宮崎県北諸県郡)

    応永四年(一三九七年・室町時代)、時の領主藤原氏が天下泰平・国家安穏・万民安泰を祈願して当宮村地区の宗廟として建立したものであると社記にあります。当時は、中央において南北朝の争乱もようやく治まりかけた...
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