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  • かくれ念佛洞 〜小林市〜(宮崎県...

    薩摩藩では、戦国時代末期から一向宗(浄土真宗)が禁止されていました。 実際に民衆に告示されたのは慶長2年(1597)のことで、島津義弘が朝鮮出兵の際、留守に残した掟書の中の一条に 「一、一向宗の事先祖...
  • 霞神社(宮崎県西諸県郡)

    旧くから農業、畜産、商売繁盛、開運、縁結び等の神様として多くの信仰をあつめ、境内の岩壁には古来から白蛇様と称される大変小さな蛇が棲息、その名は「三国名勝図会」にも記されています。蛇に出会えた者は、神縁...
  • 目指せ!世界文化遺産登録 「崎津...

    天草市河浦町にある「崎津集落」は、江戸時代の禁教期において仏教、神道、キリスト教が共存し、アワビなど貝殻内側の模様を、聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村特有の信仰形態が形成された集落で、「長崎と天草...
  • 狭野神社(宮崎県西諸県郡)

    霊峰高千穂峰周辺に創られた「霧島六社権現」の一つで、第一代神武天皇を主祭神としています。『日本書紀』には、「神武天皇は狭野尊」とあり、皇族の幼名には生まれ育った地名をつける習慣があったことから、当地「...
  • 旧岩瀬橋・鍋谷橋 〜小林市・都城...

    〜旧岩瀬橋〜 明治25年に宮崎・人吉間の道路整備事業で建設されたが始まりで、建設当時は、切石積みの橋脚と木製の橋桁でした。 その後、大正14年に上部構造の建替えが行われ、当時としては最新技術を用いた鉄...
  • 宝塔的五輪塔 〜都城市〜(宮崎県...

    両塔とも高さ3メートルを超える。このような巨大なものは、都城盆地内では、正応寺跡地(安久町)の五輪塔と、この二基しか確認されていない。 この石塔については、慶長十九年(1614年)、高城(都城市高城町...
  • 島津寒天工場跡 〜都城市〜(宮崎...

    幕末(文化文政)の頃、島津藩の財政は非常に困窮していました。 そのために、時の家老「調所笑左衛門広郷(ずしょ しょうざえもんひろさと)」は、指宿(鹿児島県指宿市)の豪商「浜崎太平次(はまさきたへいじ)...
  • 一里塚 〜都城市・小林市〜(宮崎...

    一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代ですが、一里(約4km)ごとに、江戸の日本橋を起点として全国の各街道に設置され、当初は、5間(約9m)四方、高さ1丈(約1.7m)に土を盛り上げてつく...
  • 御年神社(宮崎県北諸県郡)

    応永四年(一三九七年・室町時代)、時の領主藤原氏が天下泰平・国家安穏・万民安泰を祈願して当宮村地区の宗廟として建立したものであると社記にあります。当時は、中央において南北朝の争乱もようやく治まりかけた...
  • 高千穂峰(宮崎県西諸県郡高原町)

    高千穂峰は、宮崎県と鹿児島県の県境に位置する霧島連山の主峰で、我が国の最古の書物「古事記」や、我が国最初の正史「日本書紀」に記載されている天孫降臨の舞台と伝えられています。 山頂にはそのことを物語るか...
  • 大川組子の魅力(福岡県大川市)

    大川組子とは、船大工の技術から生まれた家具の町「大川」で300年前から続く技法です。大川市は、筑後川の河口に位置し江戸時代から舟運の基地として栄えてきた歴史があり、舟の修理や建造に携わってきた職人が多...
  • 都城島津三代 北郷久秀・弟忠通の...

    五輪塔と呼ばれる石塔の一種で、右側が北郷久秀、左側が弟忠通のお墓です。遺骨が納められているわけではなく、供養塔です。凝灰岩で造られており、町内に現存する五輪塔の中では良好な状態にあります。造立年代は不...
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